どこまで生きるの?

2007年1月22日

たとえば、僕の祖父のひとりは60過ぎで亡くなったのですが、それに沿えば、僕の父親はもう数年内には亡くなってしまうし 僕の人生もぼちぼち折り返し点に差しかかるということです。

と、いうことを考え出すと、すごくいのちがいとおしくなります。
そんなもんでなくなっちゃうんだな。

でも、だからと言って何ができるわけではないのですね。
僕や父親は祖父ではないですから、死に至るまでは、それぞれの理由と、期間があり、60歳で必ず死ぬという保証はない。
僕なんか、望む望まざるに関わらず、明日にも死んでしまうかもしれない。

どんな風に生きたって、生き切ることなんて絶対にできないはずなんだ。
生きている限りは志は絶えなくて、ゆえに死ぬときは必ず志半ばとなるはずです。

僕らにできるのはきっと、その場その場で生まれる人生の選択肢を選び、それを最期の最期まで続けることだけなんだと思うのです。
そしてそれぞれの選択がいつも最良であるよう、できるだけ意識的に生きるべきなんだ。

おそらく後悔の無い人生というのは、そのように選択し続ける生き方だ、と 近頃思うのです。
選択の自由って素晴らしいね。


僕の周りは、本当にめったに人が死にません。今思うとびっくりするくらい。
大学時代に友人から「おまえは友達が死んだときの気持ちなんてわからないだろう」なんて言われてなかなかショックだったのですが、実際そうなのでなんとも言えない・・・。

だからたぶん、他の人に比べて僕は人生観とか生命観とかに対して 長い間安穏と無神経にかまえつづけていたフシがあると思うんだけど、最近になってすこし気になってくると、なんでもっと若いうちからこういうことちゃんと考えなかったんだろう、と焦る気持ちもあったりします。

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