いなくなった人たちのこと
知人の青野くんの訃報を受けたのは2019年12月の末のことだった。
由子が俺のいる部屋にやってきて、それを告げるなりぐしゃぐしゃに泣き出したのだった。
俺は由子に言った。死んでしまった人はもうそこにはいなくて、我々の思い出の中で残像にしかならない。だからたくさん思い出してあげようね。
マニアックでよくわからない曲を作る人だったけど、彼が音楽について書く文章は端正で美しかった。
この1年ほどで、近い人から遠い人まで、ずいぶんいろいろな人々がいろいろな理由でいなくなってしまった。
ある夜に人知れずひとりで死んでしまったのかもしれない人の孤独を考えると、心がぐしゃぐしゃになってしまってほんとうにつらくなる。
俺がそこにいれば、たったひとりきりにはさせなかったのに。
厄年の俺は、毎年より余計に老け込んだ。
いなくなってしまった人たちのすべてを死ぬまでおぼえていられたらとてもすてきなことだけど、老い始めた俺の記憶はどんどん虫食いになっていて、大切だったことですらこの先とうていおぼえていられそうにない。
(しまいには、たぶん痛かったことと幸せだったことくらいしか残らないんだろう)
だから、俺はちょっとやり方を変えることにした。
これからは、いなくなってしまった人の好きだったところや良かったところを、真似して自分の一部にしていこうと思う。
何か他人から良くしてもらったら、まっすぐにありがとうって言ってたな、とか、それくらいのこと。
俺がもっと老いてあいまいにしかおぼえていられなくなっても、誰かいいやつがいたことを自分の暮らしの中にいつまでも感じられるだろう。
そして、もし俺がいなくなってしまったら、みんなも俺の中の誰ともつかない良かったところを自分のものにして持って行ってほしい。
大学の先輩が昔に作った美しい歌のことを思い出している。
君がたしかにそこにいた日々はかすかにここにあって
それをたしかな歌にすれば僕はいつでも口ずさめる