中野サンプラザに泊まってみた

中野サンプラザ。なかなか行く用事無いけどあの上の方の階とか一度行ってみたいよなと思ってたら、あと数ヶ月で50年の歴史に幕を下ろしてしまうとのことだったのであわてて行ってきた。

中野サンプラザに泊まってみた

16階〜19階はホテルになっているのだということをここに来てようやくちゃんと知ったのだった。ちょっと割高だったのだが客室はけっこう埋まっていたようで、コロナ禍の諸規制の緩和後に国内旅行者が増えていることを感じさせた。

中野サンプラザに泊まってみた

中野通り(都道420号)の方の入口から入るとエレベーターがあり、ホテルのフロント階である16階と、最上階(20階)のレストランまでは入れるようになっている。

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16階にのみ、17〜19階に行けるエレベーターがある。

中野サンプラザに泊まってみた
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中野サンプラザに泊まってみた
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1706号室に泊まった。北向きの窓だ。

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少々年数はいっているが、ごく普通のきれいなビジネスホテルという感じ。アパホテルとかよりは広くゆったりしている。今回は1人用の部屋だったが、他に5人くらいで入れる広めの和室部屋などもあるらしい。

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フロント階の非常階段近くの窓からは中野駅を見下ろせた。

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1階に降りていろいろ見た。

中野サンプラザに泊まってみた

俺が生まれる前からあった中野サンプラザ。もともとは勤労者向けの福祉施設として作られたという話も後で知った。ここにはやたらなんでもあるなと思ったが、そういうことだったんだね。2004年に民営化された頃のワールドビジネスサテライトの録画が、最近たまたま俺の手元にあることがわかってちょっと驚いた(2011年に所有会社は中野区から全額出資となったので、現状は半官半民という感じだろうか)。

中野サンプラザに泊まってみた
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中野サンプラザに泊まってみた
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ホールを使ったイベントは1974年からずっとやっていて、当初から現在までのすべてのスケジュールファイルが、ご自由にご覧くださいと無造作に置かれていた。往年のフライヤーなどもかなり良い状態で展示されていた。時間のあるときもう一度見に行きたいな。

中野サンプラザが会場のイベントにはまだ行ったことがないんだが、いちばん思い出深かったのはフジファブリックの志村のお別れ会(2010年1月)だね。仕事が忙しくて行けなかったように記憶している。
ももいろクローバーの早見あかり脱退ライブ(2011年4月)もここだった。

中野サンプラザに泊まってみた
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50周年記念グッズをやたら作っていて、なかなか売れているようだ。6月から、ホールの椅子の素材で作ったペンケースなどというめちゃくちゃマニアックなグッズを売るらしく、正直 ほしい。

中野サンプラザに泊まってみた

閉館日の7月2日まで音楽祭と称してさまざまなイベントが行われる。初日は寿美菜子と豊崎愛生、最終日は山下達郎だ。

中野サンプラザに泊まってみた
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俺が泊まった日も誰かのライブで、ライブ後の物販にやたら行列ができていたようだ。

中野サンプラザに泊まってみた
中野サンプラザに泊まってみた
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ここだけ見たらサンプラザが無くなるなんて冗談みたいなんだけど、駅の向こう側に建設中の中野二丁目ツインタワーが中野は新しくなるんだ中野は新しくなるんだと不気味な圧をかけてくるような気がしてしまった。

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2023年1月2日

久しぶりに実家に帰った。
物心ついたときには既に当たり前に存在していた実家から見える景色を、俺は小さい頃から没個性だと思っていた。なんでもない景色。郷愁に値すべきものが何も無い景色。
久しぶりに見た景色は、すべてが郷愁に満ちていた。あんなにありふれて見えていたものが、今にも失われそうな貴重なものに見えた。

現実に、これからは失われる一方なのだろう。
人によって作られたものは、どうしたって寿命が短い。いつまでも残り続けるものではない。
いわば俺と同い年の実家の景色が、俺自身が老いるのとシンクロして衰えていく姿に気づき、これらもやがて消え行くのは必然と急に合点がいってしまったのだった。

体の動かし方

2023年1月2日

2022年の秋頃から月1回くらいでボイストレーニングを受けるようになった。
歌をいまさら本気でやりたいからとかそういうんじゃなくて、自分の体の器はほんとうはどういう風に歌えるのかな、というのが知りたくなったからだ。

4年くらい前に、なんかいつの間にか声が出なくなってるな、と気づいた。
15年くらい前は地声の音域がいわゆるE2〜C5くらいだったんだけど、特に高い方の声が出なくなっていた。
コロナ禍に入った頃に、自分の喉の調子が悪くなったかどうかをいち早く知る方法として、毎朝かんたんな発声練習を続けていた時期もあったが、それでは特に改善しなかった。
まあしょうがないのかな、とは思った。もともと正しいトレーニングを受けていたわけでなく無理な発声を続けていたわけだし、それに加えて四十路を回って体は衰えているのだから。どんどん楽しく歌えない体に変質していくのはさみしいことだが、しょうがない。

ただ最近になって、それでは正しいトレーニングを受け無理のない発声をした自分というのは実際どういうものなのかな、というのが気になるようになった。
自分がこういう声を出したいなどのエゴを排除して、自分の体の器は本来どういう声を出せる可能性を持っていたのだろう、それが知りたくなった。
これって音楽的な興味というよりは、どちらかと言えばフィットネスに近いものなのかなと思う。トレーナーについてもらって、体の動かし方を知っていく構図だ。

実際、トレーナーの話からは意外な示唆が得られている気がする。
たとえば最初に言われたのは、「もっと声が出せるはずだ」。
東京に住まって18年、いつの間にか俺は、近所迷惑にならない程度にボソボソやる声が癖になってしまっていたのだ。
月1回、トレーナーに言われるがままに自分の体を操作して大きな声を出すのは、今まで動かしたことのない部分が動いているようで楽しい。

ペンシルロケットで有名な糸川英夫がバレエを始めたのは60歳を過ぎてからだった。
肉体の充実度という観点では、若いときに体の動かし方を学ぶ方がたやすいのは当たり前だろう。
しかし、歳を取ってからあらためて体の動かし方を学ぶことには、また異なった学習効果があるような気がしてならない。どのような機序で体がいちばんうまく動かせるのかという筋道を熟慮することについては、若いときよりも深く理解し楽しめるのではないだろうか。

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